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今日は通院日 [鬱病 日記]

今日は通院日でした。
お盆の長期休みを乗り切るための、という意味合いです。
1日置いて長距離運転、というのは疲れました。
(病院は居住地から90km近く遠くにあります。ウチは地方なので。)

大きな収穫というのはありませんでした。
しかし、人間だから落ち込むし、気分が悪くなるし、死にたいとも思うものだという
ドクターの言葉にははっとさせられました。
何て人間は贅沢な生き物なのでしょうか?
生物学的に、自殺ができるのは、人間だけだというのです。

私も、3度ほど自殺未遂を繰り返しました。
今となってはその気も起こりませんが、当時は本当に本気だったのです。
先のことを考えると、本当にお先真っ暗で、生きているのが辛かったのです。
そんな時期も過ぎて、今は落ち着いています。
でも、落ち着くまでに、随分と遠回りをしてきました。
私の場合、家庭環境というものが複雑で(核家族なのに、です!)、
ガッチリと薬で固め、少しずつ心を解きほぐす必要があったというのです。
それもそのはず。
女房は強烈な個性の持ち主です。
自分は常に正しいのです。
というより、他人から「間違っている」と言われるのを極端に嫌がります。
自然、私の認知を更生する必要に迫られました。
そのために、薬も多く、時間も多くかける必要があったのです。

今日は、そのことを思い出さずにはいられない通院日でした。

でも、自分のことを客観的に判断し、ドクターと話すようにしています。
なるべく客観的に。
ドクターからすれば、決して客観的ではないかもしれませんが、
客観的な見方をする努力は、この病気に有効に働くようです。

ドクターから昔貸してもらって、まだ返していない本があるのですが、
その本(医学の専門書です)にも、同様のことが書いてありあます。
ドクターと患者が、お互い客観的な立場に立ち、意見を交換し、
病状の回復について有効な手段を探して行く。
それが認知療法の手段の一つだというのです。
なるほど、と思います。
現在私は、日々の体調管理シートを作り、それに記録し、
通院時には印刷して持参し、ドクターとそれを基にして話をすることにしています。
すると、案外客観的に自分のことを考えることもできるのです。

話がそれました。

今日は、自殺念慮の頃まで、話が遡りました。
でも、ドクターは、
その話をしても、私が自殺をするはずがない、という判断のもと、
その話を切り出したのだと思います。
そのような話を聞くだけの余裕が出来ている、と判断されたのかもしれません。
それはそれで嬉しいことです。
自分は、着実によくなっている、
そう思うことができたのですから。

投薬の量から言って、まだ寛解からは遠いと思います。
でも、減薬の傾向にはあります。
今後、調子が良くなれば、さらに減薬が進むでしょう。
減ることはあっても、増えることはないと思います。
少しずつ、少しずつですが、
寛解に近づいている、
そう思うことで、これからを生きていきたいと思っています。

今日のよかったこと
「ゆっくりでも確実に寛解に近づいているということが認知できた」

ゆっくり確実に治していきたいと思います。
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