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7月15日の良かったこと [鬱病 日記]

今日は、1週間近く家を留守にしていた娘を、学校まで迎えに行きました。
鬱病で仕事休んでいる自分がやってよいかどうか不安ではあったのですが、
女房が仙台に所用ででかけていたので、
自分が時間的に余裕があるということで、迎えに行きました。

ここで思ったこと。

自分が不調を訴え、体が動かなくなったのは、
娘が合宿に行ってからのことです。
生活の張りがなくなってしまい、
うつ状態が強く現れたとは言えないでしょうか?
このへんは、専門家のドクターの意見を聞かなければわからないことではありますが、
影響はかなりあったように思います。

自分の鬱病がひどくなる原因は、
家庭環境の崩れにある。
そんな鬱病もあってよいと思います。

以前購入した書籍で、
死ぬ前に何をするか、という趣旨の質問を綴ったものがあります。
それに対する自分の答えは、
概ね、
「家族のために何かすること」
でした。
深層意識の中に、自分が家族のためにできること、
これまでにできなかったことを挙げる人間は、
家庭のことを第一に考えてるような気さえします。
自分がどうだったかというのはさておき、
第一義に家族のことが思い浮かんだというのは、
家族をこれまで大事にしてこなかった、
自分に責任のあるものと思います。

この結果を冷静に判断するならば、
自分は家族のため、なにかしらすべきである、
という結論が導き出されます。

しかし、家族は、そのようなことは望んでいません。
自分は自分であるべき、揺るがない一人の人格として確立していることが
望まれています(少なくとも女房の感覚では)。

そんな自分ができることは、
病気の自分をあるがままに受け入れ、
そんな自分も自分だよと受け入れ、
その先の行動を模索することだと思います。

でも、自分は、自分が嫌いです。
どう考えてみても、自分は好きになれません。
これは、どうあがいてみても、仕方のないこと。
でも、この中から、自分を自分と認める自分を見つけなければ、
この先はない、ということでしょう。

自分にとっては、これはとてもつらい道です。
でも、これまで家族にかけた迷惑その他諸々の苦労を何らかの形で
補うには、
自分が変わるしかありません。

「人と、人の過去は変えることはできない。
しかし、自分と自分の未来は変えることができる。」

多くの先駆者が残した言葉です。

自分がその道を辿ることができるのであれば、
進んでその行程を歩みたいと思います。
しかし、その道が見いだせないならば、

本人にとっても、家族にとっても、

一番不幸な道を辿るかもしれません。

こればかりは、

この先の、未来が支配していること。

これ以上は自分からは言えません。

どうか、自分が進むべき道が、

家族の思いと一致していますように。

それを願ってやみません。

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