SSブログ

2018年7月8日 [鬱病 日記]

今日は開店早々の生協に行って、
女房と買い出しをしてきました。
二人だけで一緒にゆっくり買い出しをするなんて、
ここ数年間はありませんでした。
いろいろなことに気を取られて、
ゆっくりする事を忘れていたかもしれません。

良かった。

夕食は1週間ぶりに家族全員が顔を揃えました。
これから数年もすれば、
こんなことが珍しくなるのでしょう。
女房との二人だけの新たな生活が始まります。

思えば、良い旦那とは言えなかったでしょうね。
ここ十年は、うつ病に悩まされ、
迷惑の掛け通しでした。

ふと、思うことがあります。

うつ病なんて分かりにくい病気じゃなくて、
ガンとか分かりやすい病気なら良かったのに、って。
ガンだったら、自分の死期を悟り、
もっと家族に優しくなれただろうかって。

これも自分勝手な言い分ですね。

うつ病は幸い、ちょっとずつですが、快方に向かいつつあります。
仕事も責任ある部分が増え、
それに伴って責任も重くなっています。

この十年、仕事人でも家庭人でもありませんでした。
この事実は、双方に迷惑をかけてきた、ということでしょう。
この間、私は守られっぱなしでした。
10年経って、ようやくご恩返しをするときか来たのかもしれません。

私には珍しく、殊勝な考えになっています。
死を自覚する前に、
せめて精一杯生きてやろう、
そう考えているところもあります。

私は、死に場所を探しているのかもしれません。

もう十分に生きた、とは言いません。
まだまだ、知らない世界がたくさんあるでしょう。
それらの世界に、何の希望も意欲も見出せない私は、
生きていて死んでいる状態なのかもしれません。

喜びが見出せない。
そんな毎日が続いています。

今もまた、娘が女房に突っかかっています。
甘えたい盛りは過ぎているはずなのですが、
しきりに甘えたがります。
ストレスですね。完全に。
娘の望むように甘えさせてやれない女房の心情も分かります。
どっちつかずで、態度をごまかしているダメ父がここにいます。

私は何のためにここにいるのでしょうか?
家にお金を入れるためでしょうか?
詐欺に引っかかって渡してしまった1000万円を補填するためでしょうか?
子供のためでしょうか?
女房のためでしょうか?
飼い猫のためでしょうか?

いなくても、困らない存在のような気がします。

そんな私が、未来に希望を馳せるなどと、おこがましいことです。

今日は、いつも心に引っかかっていて、
口に出すことができなかったことを、
ここに書き記しました。

自分の考えが形を取り始めた、と言う意味では、
良かったと思います。

明日も朝から仕事。
明日は誰のために生きるのでしょうか?
そういうことがはっきりしないうちは、
自分は生きる目標を失って、ただ漂うばかりの存在に
堕ちていくばかりなのかもしれません。

私の事は、反面教師にしてください。

次の言葉は、あなたのための言葉です。

大丈夫。どんどんよくなりますよ。
nice!(0)  コメント(0) 

2018年7月7日 [鬱病 日記]

七夕ですね。
東北地方はこの時期は毎年梅雨なので、
晴れて星が見えていた記憶はありません。
でも、七夕です。

今日は息子を空港まで迎えに行きました。
高校の本校までスクーリングに行っていたのです。
月曜日の夜以来、家族4人が揃いました。
やはり、安心できます。
良かった。

空港までは1時間半ほどかかります。
往復で3時間。
夕食を息子と一緒に食べ、
23時頃に戻ってきました。
割と早く帰宅できて良かったです。

帰宅途中は濃霧でした。
午後になって気温が上昇したためでしょう。
でも、何事もなく帰宅できました。
良かった。

明日は何のイベントもありません。
ゆっくりと寝て、
来週に向けて、気持ちを整えたいと思います。

今日も一日、無事に終わることができて良かった。

大丈夫。どんどん良くなります。
nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。