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6月18日 [うつ病日記]

今日は、かねてから準備していた
プレゼンが成功しました。
ちょっと緊張して、所々かんでしまいましたが、
何とかなりました。
プレゼンが成功して良かった。

時間が空いたので、今日は夕食をほぼ手作りしました。
出先から直接帰ることができたので、
ちょっとだけ休息も取れました。
良かった。

書類仕事はできませんでしたが、
他の社員が使うことができるテンプレートを作成できました。
自分の仕事より、他者の利益です。
長い目で見れば、それは自分の利益にもなります。
そんなふうに考え、行動することができて良かった。

よく主治医に言われます。
物事はコインの裏表だと。
良いこともあれば悪いこともある、ではなく、
悪いと思われることの裏側は、良いこととも取れ、
反対もまた然りであると、
そういうことだと思います。

悪いことのエネルギーって、とても強いので、
人間それに流されてしまいますが、
落ち着いて周囲を見渡してみれば、
良いことだって自然に転がっているものです。
そこから(微弱でも)エネルギーをもらって、
ちょっとだけでいいから、今いるところから前進できれば、
それは自分の頑張りであり、成果であり、成長だと思います。
そんなふうに考えられれば、
人生そう捨てたもんじゃありません。

まだ捨てるのは早いんですよね。

大丈夫。どんどん良くなります。
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6月17日 [鬱病 日記]

今日は、元上司が、家で丹精こめたプランターを、
奥方と一緒に届けてくださいました。
庭先が、また華やかになりました。
元上司に感謝です。
良かった。

また、子供たちと共通理解がある程度図れました。
人間関係なので、一時には解決しません。
それでも、共通理解のないところに一貫した行動は伴いません。
一貫した行動を取っていくために、今日一日は必要だったと思います。
そんなふうに思うことができて良かった。

常日頃思うことなのですが、
一日の生活の中で「良かった」と思えることを探すというのは、
結構大変な事です。
良かった、悪かったと二元的に捉えるのが良くないのかもしれません。
白でも黒でもない、グレーの部分があっても良いと思います。
人生、毎日が良かったことだらけだったら、
私のような病気になる人はいませんよね。

良くないと思える一日の中で、
良かったと思える事を探し出して、
「あぁ、今日も良かった。」と思うプロセスが大事なのだと思います。
人は、そのプロセスの中でネガティブからポジティブに一時変化します。
そんなトレーニングを積んでいれば、
日常の些細な出来事から、良かった探しをできると思います。
トレーニング何て、そんなおこがましいものでもありません。
常日頃、ちょっと気をつけているだけで良いのだと思います。

今日は、他にも、いろいろと良いことがありました。
旧知の先輩と、軽く会話を交わすことができました。
料理は息子と娘が作ってくれました。
家出しそうになっていた女房が、何を思ったか、家に戻りました。
家族間との関係は、いまだ冷えきったままででが、前進には違いありません。
それが良かったことと思えるのです。

人間は万事スムーズに事が運ぶ人間ではありません。
失敗模もすれば、落ち込みもします。
そんな沈んだ感情を浮き上がらさせてくれるのが、「良かった」と思える、小さな出来事だと思えます。
もちろん、白黒はっきりつくものではありませんよ。
今後数年間経過し、それでも残っていることが、良かったことでしょう。

悪かった感情が大きい方に取っては、このブログの内容などは、
ちゃんちゃらおかしいものに写るでしょうね。
それでも良いと思います。
価値観の違いだけではなく、人間性もそこには現れてしまうのですから、
怖いものです。

そんなことを津々浦々考えていると、一体自分は何者なのだろう?
という考えにも取り込まれてしまいそうになります。
自分は自分です!と、強く言える状況ばかりではないでしょう。
そんな時こそ、自分の「売り」を考えてみるのです。
四方八方ふさがってしまったときには、自分の力しか頼るところはありません。
自分がこれまで得意としてきたこと、
自分の特技と言えること、
そんなことが、自分の自身に、そしてrebootにつながっていきます。

先の話をしすぎましたね。ご容赦ください。

このブログで、何回も投稿していること、
それは、
「人間いつまでも今のままの自分ではない」ということです。
常に前のめりに歩こうじゃありませんか。
時々お休みしてもいいんです。
一泊したって、二泊したってかまいません。
十二分に休養が取れれば、また先に進みましょう。

大丈夫。どんどん良くなります。
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6月16日 [鬱病 日記]

今日は3週間ぶりの通院日でした。

今日は混んでいたので、待合室でDLしておいた本を読みました。

「ねこたちのいる家」

という本です。

ねこが中心の本かとおもいきや、主役は人間でした。
でも、ねこたちもいい味出していました。
滅多な事では泣かないのですが、この本は途中で泣いてしまいました。

この本は、「読書セラピー」というカテゴリーに入る本です。
著者がねらっているのは、閉ざされた心の開放です。
優しく、ふわふわと、淡々と進むストーリーの中に、
人間としての心の葛藤や苦しみ、楽しさ、明るさが込められています。

きっと、自分の中にも、泣きたい自分がいたのだと思います。
だから、涙がこぼれてしまったのだと思います。
何となく、ちょっとすっきりした気持ちで、病院を出ました。

実は、家庭内不安を抱えていたのです。
いまだ継続中。
家の中が、ばらばらになりそうなほど、緊迫しています。
傍観者、というわけではありませんが、
主観で参加してしまうと、自分もマイナスのエネルギーを
たくさん心に受けてしまいます。
だから、怒りはなるべく抑えて、あえて客観的に見ようとしています。

今回ばかりは、大丈夫、とは言えません。
長い目で見れば、良いことにつながるかもしれません。
でも、ここ数日間のことを考えると、暗くなります。
来週の仕事のためのエネルギーは残しておいて、
冷静に対応しようと思います。
一緒になって騒いでいたら、自分も騒ぎの中心になります。

大丈夫? どんどんよくなる?





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6月15日 [鬱病 日記]

今日は一日寝ていました。
ここ一週間の疲れを取るという意味では良かったです。
久しぶりに、ゆっくり寝ることができました。
よかった。

その分、有休は減りました。当然ですが。
それが、今後も私を苦しめることでしょう。

有休がない分、気合を入れて働けば良いのでしょうが、
うつ病という病気は、気分の変調が大きく、
気持ちが安定しません。
私が飲んでいる薬というのは、
なんの異常もない人が飲むと、
とたんにきいていくる薬のようです。
改めて認識しました。
自分は、それほどの薬を飲んでいる重傷患者なのだと。
何とかやっていられる程度の、人間なのだと。

落ち込んでいる暇はありません。
自分のマイナスポイントは、ちょっとした心がけでプラスポイントに
なると思います。

マイナスポイントをしっかり把握した上で、
どうすればプラスになるのか、ということを考えれば
良いように思います。

自分の仕事上、カツカツで、とても大きな仕事を任せることは
できないと上司は判断するでしょうが、
それでいいんです。
私は、社全体の利益のために働いている人間ですが、
それと同時に、
自分のために動くための存在でもあります。
いざとなったら、自分を優先します。
そうでなければ、死んでしまいます。心が。
心が死に至れば、肉体などどうでも良くなります。
そんな状況に陥らないためにも、自分をまず大切にすることです。
これが第一義です。

今日は悪かったけど、明日はいい日になる。
そんな期待も込めて、毎日を過ごしたいと思います。
テンションが下がることは、一日に何度もありますし、
家庭だって不安定です。
その中で、自分ができることは何なのかというのを探すのも、
この病気になった副産物の一つでしょう。

要は、病気になったことを逆手に取って、
自分の利益のために使いましょう、と言うことです。
利用できるところは存分に利用します。
あざといと思われても、利用します。
誰でもない、自分のためです。

今まで、そんなことはできずにいました。
自分の未の拠り所すら分からず、組織の中で浮いていました。
本年度の仕事では、十分に自分の能力を発揮できる場をいただきました。
その期待には、できる限り答えていこうと思います。

一日中後ろ向きだった自分のテンションが、
少しでも前向きになった事は、
とても良かったと思います。

明日、明後日は、どんな日になるでしょう。
どんな日になっても、自分は対応していきます。

大丈夫。どんどんよくなります。
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6月14日 [鬱病 日記]

今日気づいたこと。
それを記事にすることが、
何よりも良かったことです。

半徹夜の仕事明けから一日。
体に疲れがじんわりと出始めました。
このままではまずいので、早寝と休養、力の小出しを心がけています。
まあまあ、というところで仕事を収めるのも仕事のうちなのかもしれません。
時には人に任せる、というのも、自分の仕事のうちのような気もします。
いつまでも、自分が先頭を切って仕事をしていたのでは、
後進が育ちません。
多少不満があっても、育てる意味では任せることが必要です。
今の職場には、任せることができる人材が揃っています。
他と比べて。
それは、自分の幸福にもつながります。
齢50のオジサンには、
後進の姿がまぶしく写るときがあります。
定年まであと10年。
10年かけて、自分のこれまでを伝えることができれば本望です。
そんな年代に入ったんだなぁ。
しみじみ思います。

齢50になっても、
クライアントから学ぶことがたくさんあります。
人を育てる上で、今の自分に満足していては、
伝える側の人間としては不適格のように思います。
後進に伝えるけれども、自分はまたその先を行っている。
そんな姿も、伝えたいことです。

仕事に対する姿勢、というより、
自分の人生に対する姿勢、と言った方が良いのかもしれません。
私は、一人の人間として、
常に学び、進み、日々自分を更新していきたいと思っています。
死ぬまで成長を続けるために、
その時々で、ベストの状態で精一杯の事ができるように、
自分を高めつづけたいのです。
誰に認めてもらおうとは思っていません、
自分が納得できないだけです。
学びつづけ、新たな自分に気づくこと。
こんな楽しいこと、止められますか?
止められません。
だから、自分は学び続けます。

うつ病がひどい自分ではありますが、
少しずつ快方に向かっているのかな?と思うことがあります。
戻ることも多々あります。
でも、今の自分は昨日の自分ではありません。
一歩一歩進んでいく事が、自分には必要なのだと思います。

大丈夫。どんどん良くなります。
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6月13日 [鬱病 日記]

ブレイクダウン寸前です。
半徹夜で報告文書とプレゼンデータを作成したまでは良かったのですが、
そんな無茶はするもんじゃないと上司に怒られました。

おまけに女房がちょっとしたことですねてしまい、
私に怒りの矛先を向けてきます。
このようなマイナス感情を受け止めることが、今はとても辛いです。
自分まで一緒にマイナス感情になってしまいます。
そうすると、うつ状態がひどくなります。

息子は勝手にピアスの穴を開けるし、
それに対して女房が静かな怒りを周囲に放ち、
一触即発の状態で、前述のことが起こりました。
いごごちの悪さが家の中に渦巻き、
その場にいることさえ辛いです。
ここで私が怒りを爆発させてしまえば、
すべてがマイナスの方向に向きます。
自分自身へもマイナスの感情が爆発します。
今はこらえること。
感情を整理して、落ち着くこと。
それが大事みたいです。

もともと、口が立つ方ではありません。
突然何かを言われ、何と答えたら良いか分からず、
沈黙することが多いです。
他の人の感情を受け止めるのが苦手です。
気の利いたことを言うのも苦手です。
はっきり言って不器用なんです。そんなところが。
でも、周囲は分かってくれない。
そんな辛さが、28年も続いています。
心が壊れない方がおかしいのかもしれませんが、
自分ではそうは思えません。
自分のせいだと思ってしまいます。
自責の念というのは、ものすごいエネルギーを持っているとのこと。
自分で自分を溺れさせているようなものです。

自責の念を持って、自分を責めてはいけません。
自己崩壊します。
私が半面教師です。
私の二の舞にならないでください。

私は明日まで自分を保ち、心を保ち、
うつ状態にならずに職場へ向かえるのでしょうか?
不安です。

ブレイクダウン寸前です。
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6月9日 [鬱病 日記]

今日は休日出勤日。予定されている出勤日とはいえ、
休みたい気分でした。
時間の振替はありますが、休むに休めないのが実情。
あってないようなものですね。

仕事を抱えて職場に行ったのですが、
クライアントからの手痛い一言に心が折れました。
必要な資料を鞄に入れ、早々に帰宅しました。
折れた心がなかなか回復せず、
仕事再開は夕方。
もちろん終わるはずもなく、明日に持ち越しです。

それでも、書類仕事を60%は片付けました。
それはそれで良かったです。
折れた心の回復も、一頃よりも早くなりました。
以前なら、寝込んでいたところですよ。
これも良かった発見です。

明日は残り40%の書類仕事と、
クライアント向けのプレゼン作成が待っています。
終わる見通しは立っていませんが、
なんとかなるような気がします。
楽観的に物事を考えることができるようになったことも、
良かったことです。
自分に対する責めが少ないですから、負担減です。

夜遅くまで仕事をしているよりも、
朝早くから起き出して仕事に取り組んだ方が、
能率が上がるということも発見しました。
これも良かったことです。

ここ数日間は色々なことが次々に起きて、
その対処に奔走していたのですが、
新たな発見も多かったです。
久しぶりに一生懸命になっていました。
でも、自分を許すことも忘れませんでした。
それが支えになっていたところもあります。

人間、少しずつでも日々進歩しています。
明日の自分は新しい自分です。
そうやって、日々新たなスタートを切れれば、
何かと心機一転できます。
小さな積み重ねですが、大きな一歩でもあります。
そうやって、日々精進です。

大丈夫。どんどん良くなります。
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6月5日 [鬱病 日記]

今日は、仕事ができない日でした。
お持ち帰りの仕事があったのですが、
女房の職場の愚痴を聞いているうちに、
時間がなくなりました。

急務の仕事があるわけではありません。
日をまたがって、仕上げなければいけない仕事があるだけです。
時間の都合をつければ、片付く仕事です。

自分の仕事は充実していました。
それは喜ぶべき事。
今日も精一杯働くことができて良かった。

今日は、部下に依頼されて、小一時間講義する時間が持てました。
部下は、それを見て学ぶことでしょう。
そんな時間が持てて良かったと思います。

自分の仕事は続きませんが、公の仕事が進んだことは、
全体の利益です。
若い衆は、年配の職人の仕事を見て、

学ぶべき、
盗むべき、

です。
学ところも盗むところもないような職場は、
あってないようなものです。
若い衆よ、どんどん盗め!
それが年配の職人の望むところです。
そのような気持ちになれたことも、今日の収穫です。
日々学ぶことをわすれてはいけません。
日々学ぶことを忘れなければ、人間はいつまでも成長します。
今時の若い衆には、そのことを身をもって身につけて欲しいのです。

ゆとり世代と言われて、世間の風当たりも強いことと思います。
自分自身が、テンションを維持できない事も多いでしょう。
でも、自分本位の大人にならないでください。
自分本位は、学ぶことを忘れさせます。
学ぶことを忘れたら、それはもう周囲の状況に流されていると思ってください。
周囲の状況に流されない、自分というものを持ってください。
そこから、自分というものが始まります。

こんな面倒くさいことを、回りくどく言っているのは、
現代人が、
『学ぶ』=『盗む』ということを分かっていないからです。
先輩のやりようを見て、
盗んで自分が実践する、というこを分かっていないからです。

京都の祇園の芸者衆は、
自分が客の前で見せる芸事を、
教えられるのではなく、盗むのだといいます。
実際、一度の踊りを見て、それを真似して踊れと言われ、
その通りできないと、
叱責が待っています。
その厳しさを、現代人は分かっているのでしょうか?
芸事は、盗んで当たり前なのです。
盗むということは、プロ意識を持って学ぶということです。
そんなプロ意識を持っている現代人が、
どれだけいることでしょう?
疑問です。

この投稿に、異論があるというのであれば、
広く受け付けます。

どんどん学んでください。
どんどん盗んでください。
それが自分の将来を豊かにします。
それが、人生というものです。

自分の立場もわきまえず、
出すぎたことを申しました。
お許しください。
でも、
教えられるで満足しないでください。
未来は、大きな可能性を持って待っているのですから。

大丈夫。どんどん良くなります。
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6月3日 [鬱病 日記]

この土日は、昨年逝去した義母の一周忌でした。
女房がホスト役をつとめたので、
自然自分もホスト役の一部を分担することになりました。

遠方より故人ゆかりの友人に来てもらい、
温泉宿でおもてなしをし、
一周忌に参加してもらいました。
どの友人の方々も、笑顔でお帰りいただきました。
女房のホスト役も、自分のサポートも上手くいったというところでしょうか。
御恩のあるある方々に、喜んでいただけて良かったと思います。

今回は、約400kmという長距離を、車でお出でいただきました。
アルファードをレンタカーで借り、義弟が運転してお客様方をご案内しました。
長距離の移動で疲れたかとは思いますが、
明日の仕事のない方々なので、
まぁ、納得してもらおうという打算もあります。
菩提寺が最後に生活していた土地と離れていたので、
葬儀の際も、いろいろと異例づくめでした。
これがデフォルトと思ってしまえば、何の遠慮もないというもの。
来年の三回忌には、お墓のある岩手県の観光めぐりでも、企画した方が、
「来て得をした」と思ってお帰りいただけるかもしれません。
この考えも片隅に置いておきましょう。
何にせよ、喜んでお帰りいただけて良かったです。

一周忌の前の晩は、義弟と初めて痛飲しました。
これまで、なかなか交流の機会のない義弟だったので、
男衆だけで好きな事を言って楽しめる時間がとれて、
良かったと思います。
今後、もっとフランクに話すことができるでしょう。
これも故人のお導きなのかもしれません。
たくさん話ができて、男衆だけで気兼ねない話ができて、
今後のお付き合いにもつながる関係を築くことができて、
本当に良かったと思います。

苦労は多かったです。
余計な気は使いたくないのがうつ病患者の当たり前ですが、
そんなことを言ったらホストの補佐なんて勤まりません。
自分にとっても、良かったのかもしれません。

今後、何が自分に起こるかなんて、
見通すことは無理ですが、
今日この日を充実したものにできたことは、
本当に良かったのだと思います。
自分だけの良かったではなく、
他の方々についても、良かったといえる土日でした。
自分たちも、目一杯頑張りました。
それで、参会してくださった方々が、満足してくださったのであれば、
それは喜ぶべき事です。

良かった。
そう思える土日でした。

大丈夫。どんどん良くなります。
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6月1日 [鬱病 日記]

昨日と今日は、仕事を休みました。
一時的に鬱症状がひどくなったため、
起きることができませんでした。

原因は、一昨日夜の口喧嘩です。
ずいぶんとひどいことを言い合いました。
いろいろな意味で疲れていたので、言葉の一つ一つが
心に効きました。
もちろん悪い意味で。
そんな中で、良いことを探そうと思っても、うまくはいきませんね。

2日間仕事を休んだおかげで、
いろいろと気持ちの整理がついたのも、確かなことでした。
女房の対応によっては、この土日に、家を出る決心もしていたのですが、
向こうが懐柔策に出てきたので、
今はそれに乗っかろうと思います。
いざとなれば、単身家を出る覚悟で、今後対応していきます。
ここまでの決心ができたことは、逆に良かったのかもしれません。

「怒り」というものについても、少し勉強できました。
それも良かったと思います。
自分だけでなく、敵の心情も理解することができるのは、
大きなアドバンテージです。
できることならば、この本を読んでもらいたいほどですが、
きっと途中で投げ出すでしょう。
それならば、自分が読んで、対策を講じておいた方が利口というもの。
そう思えることができたことも、良かったのかもしれません。

明日は法事で、他県に行きます。
女房は施主なので、いわばホスト役です。
遠方からも、お客さんがお見えになるので、
結構大きな行事です。
それを前にして、喧嘩腰ではいられないとでも思ったのでしょうか?
どうでもいいんですけどね。そんなこと。
私は私で役目を果たすだけです。
2日間にこにこ笑って、愛想を振りまいておけば、
あとは女房が勝手にやるでしょう。
あとは運転手でしょうか。
これは直に疲れるので、気を遣ってもらいたいところです。

大丈夫、どんどん良くなる、とは言えない現状です。
くすぶったまま、明日を迎えます。
さて、明日は何が起きることやら。
今から不安で仕方ありません。
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