6月17日 [鬱病 日記]
今日は、元上司が、家で丹精こめたプランターを、
奥方と一緒に届けてくださいました。
庭先が、また華やかになりました。
元上司に感謝です。
良かった。
また、子供たちと共通理解がある程度図れました。
人間関係なので、一時には解決しません。
それでも、共通理解のないところに一貫した行動は伴いません。
一貫した行動を取っていくために、今日一日は必要だったと思います。
そんなふうに思うことができて良かった。
常日頃思うことなのですが、
一日の生活の中で「良かった」と思えることを探すというのは、
結構大変な事です。
良かった、悪かったと二元的に捉えるのが良くないのかもしれません。
白でも黒でもない、グレーの部分があっても良いと思います。
人生、毎日が良かったことだらけだったら、
私のような病気になる人はいませんよね。
良くないと思える一日の中で、
良かったと思える事を探し出して、
「あぁ、今日も良かった。」と思うプロセスが大事なのだと思います。
人は、そのプロセスの中でネガティブからポジティブに一時変化します。
そんなトレーニングを積んでいれば、
日常の些細な出来事から、良かった探しをできると思います。
トレーニング何て、そんなおこがましいものでもありません。
常日頃、ちょっと気をつけているだけで良いのだと思います。
今日は、他にも、いろいろと良いことがありました。
旧知の先輩と、軽く会話を交わすことができました。
料理は息子と娘が作ってくれました。
家出しそうになっていた女房が、何を思ったか、家に戻りました。
家族間との関係は、いまだ冷えきったままででが、前進には違いありません。
それが良かったことと思えるのです。
人間は万事スムーズに事が運ぶ人間ではありません。
失敗模もすれば、落ち込みもします。
そんな沈んだ感情を浮き上がらさせてくれるのが、「良かった」と思える、小さな出来事だと思えます。
もちろん、白黒はっきりつくものではありませんよ。
今後数年間経過し、それでも残っていることが、良かったことでしょう。
悪かった感情が大きい方に取っては、このブログの内容などは、
ちゃんちゃらおかしいものに写るでしょうね。
それでも良いと思います。
価値観の違いだけではなく、人間性もそこには現れてしまうのですから、
怖いものです。
そんなことを津々浦々考えていると、一体自分は何者なのだろう?
という考えにも取り込まれてしまいそうになります。
自分は自分です!と、強く言える状況ばかりではないでしょう。
そんな時こそ、自分の「売り」を考えてみるのです。
四方八方ふさがってしまったときには、自分の力しか頼るところはありません。
自分がこれまで得意としてきたこと、
自分の特技と言えること、
そんなことが、自分の自身に、そしてrebootにつながっていきます。
先の話をしすぎましたね。ご容赦ください。
このブログで、何回も投稿していること、
それは、
「人間いつまでも今のままの自分ではない」ということです。
常に前のめりに歩こうじゃありませんか。
時々お休みしてもいいんです。
一泊したって、二泊したってかまいません。
十二分に休養が取れれば、また先に進みましょう。
大丈夫。どんどん良くなります。
奥方と一緒に届けてくださいました。
庭先が、また華やかになりました。
元上司に感謝です。
良かった。
また、子供たちと共通理解がある程度図れました。
人間関係なので、一時には解決しません。
それでも、共通理解のないところに一貫した行動は伴いません。
一貫した行動を取っていくために、今日一日は必要だったと思います。
そんなふうに思うことができて良かった。
常日頃思うことなのですが、
一日の生活の中で「良かった」と思えることを探すというのは、
結構大変な事です。
良かった、悪かったと二元的に捉えるのが良くないのかもしれません。
白でも黒でもない、グレーの部分があっても良いと思います。
人生、毎日が良かったことだらけだったら、
私のような病気になる人はいませんよね。
良くないと思える一日の中で、
良かったと思える事を探し出して、
「あぁ、今日も良かった。」と思うプロセスが大事なのだと思います。
人は、そのプロセスの中でネガティブからポジティブに一時変化します。
そんなトレーニングを積んでいれば、
日常の些細な出来事から、良かった探しをできると思います。
トレーニング何て、そんなおこがましいものでもありません。
常日頃、ちょっと気をつけているだけで良いのだと思います。
今日は、他にも、いろいろと良いことがありました。
旧知の先輩と、軽く会話を交わすことができました。
料理は息子と娘が作ってくれました。
家出しそうになっていた女房が、何を思ったか、家に戻りました。
家族間との関係は、いまだ冷えきったままででが、前進には違いありません。
それが良かったことと思えるのです。
人間は万事スムーズに事が運ぶ人間ではありません。
失敗模もすれば、落ち込みもします。
そんな沈んだ感情を浮き上がらさせてくれるのが、「良かった」と思える、小さな出来事だと思えます。
もちろん、白黒はっきりつくものではありませんよ。
今後数年間経過し、それでも残っていることが、良かったことでしょう。
悪かった感情が大きい方に取っては、このブログの内容などは、
ちゃんちゃらおかしいものに写るでしょうね。
それでも良いと思います。
価値観の違いだけではなく、人間性もそこには現れてしまうのですから、
怖いものです。
そんなことを津々浦々考えていると、一体自分は何者なのだろう?
という考えにも取り込まれてしまいそうになります。
自分は自分です!と、強く言える状況ばかりではないでしょう。
そんな時こそ、自分の「売り」を考えてみるのです。
四方八方ふさがってしまったときには、自分の力しか頼るところはありません。
自分がこれまで得意としてきたこと、
自分の特技と言えること、
そんなことが、自分の自身に、そしてrebootにつながっていきます。
先の話をしすぎましたね。ご容赦ください。
このブログで、何回も投稿していること、
それは、
「人間いつまでも今のままの自分ではない」ということです。
常に前のめりに歩こうじゃありませんか。
時々お休みしてもいいんです。
一泊したって、二泊したってかまいません。
十二分に休養が取れれば、また先に進みましょう。
大丈夫。どんどん良くなります。
6月16日 [鬱病 日記]
今日は3週間ぶりの通院日でした。
今日は混んでいたので、待合室でDLしておいた本を読みました。
「ねこたちのいる家」
という本です。
ねこが中心の本かとおもいきや、主役は人間でした。
でも、ねこたちもいい味出していました。
滅多な事では泣かないのですが、この本は途中で泣いてしまいました。
この本は、「読書セラピー」というカテゴリーに入る本です。
著者がねらっているのは、閉ざされた心の開放です。
優しく、ふわふわと、淡々と進むストーリーの中に、
人間としての心の葛藤や苦しみ、楽しさ、明るさが込められています。
きっと、自分の中にも、泣きたい自分がいたのだと思います。
だから、涙がこぼれてしまったのだと思います。
何となく、ちょっとすっきりした気持ちで、病院を出ました。
実は、家庭内不安を抱えていたのです。
いまだ継続中。
家の中が、ばらばらになりそうなほど、緊迫しています。
傍観者、というわけではありませんが、
主観で参加してしまうと、自分もマイナスのエネルギーを
たくさん心に受けてしまいます。
だから、怒りはなるべく抑えて、あえて客観的に見ようとしています。
今回ばかりは、大丈夫、とは言えません。
長い目で見れば、良いことにつながるかもしれません。
でも、ここ数日間のことを考えると、暗くなります。
来週の仕事のためのエネルギーは残しておいて、
冷静に対応しようと思います。
一緒になって騒いでいたら、自分も騒ぎの中心になります。
大丈夫? どんどんよくなる?
今日は混んでいたので、待合室でDLしておいた本を読みました。
「ねこたちのいる家」
という本です。
ねこが中心の本かとおもいきや、主役は人間でした。
でも、ねこたちもいい味出していました。
滅多な事では泣かないのですが、この本は途中で泣いてしまいました。
この本は、「読書セラピー」というカテゴリーに入る本です。
著者がねらっているのは、閉ざされた心の開放です。
優しく、ふわふわと、淡々と進むストーリーの中に、
人間としての心の葛藤や苦しみ、楽しさ、明るさが込められています。
きっと、自分の中にも、泣きたい自分がいたのだと思います。
だから、涙がこぼれてしまったのだと思います。
何となく、ちょっとすっきりした気持ちで、病院を出ました。
実は、家庭内不安を抱えていたのです。
いまだ継続中。
家の中が、ばらばらになりそうなほど、緊迫しています。
傍観者、というわけではありませんが、
主観で参加してしまうと、自分もマイナスのエネルギーを
たくさん心に受けてしまいます。
だから、怒りはなるべく抑えて、あえて客観的に見ようとしています。
今回ばかりは、大丈夫、とは言えません。
長い目で見れば、良いことにつながるかもしれません。
でも、ここ数日間のことを考えると、暗くなります。
来週の仕事のためのエネルギーは残しておいて、
冷静に対応しようと思います。
一緒になって騒いでいたら、自分も騒ぎの中心になります。
大丈夫? どんどんよくなる?
物語セラピー いつも人の顔色をうかがって辛いあなたへ ねこたちのいる家 (WORDS c. 出版)
- 出版社/メーカー:
- 発売日: 2017/05/28
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